先日「専業主婦が幸せになりたければ、「好きで楽しい」探しを続ける」というエントリーを書きました。
好きだなと思えること。
楽しいなと思えること。
この2つを同時に叶えてくれるものを探し続けることで、幸福感が底上げできるという内容でした。
でも現実は、好きで楽しいことだけでは生きていけません。
私の場合で言えば専業主婦ですから、毎日食事を作らないといけませんし、家の中の掃除も、洗濯もして、今月は網戸の掃除をして、来月は窓拭きをして、あれこれあれこれあるわけです。
これらの作業を1年中楽しくできる方はいるのかもしれませんが、普通に考えると多くはないでしょう。
私も、家事のすべてが好きだとも思えないし、楽しいとも思えません。
そこで今回は、好きでも楽しくもないことをする際に考えていることを書きたいと思います。
1年ほど前に読んだ、心理学者マズローの本
があります。
マズローはこの本の中で、
- 人間というものは、常に何かを欲している動物であり、ほんの短時間を除いて、完全な満足の状態に到達することはほとんどない。
と書いています。
これを読んで、人はどんな状態になっても、完璧に満たされるということはないのだな、と思いました。
でも、だからこそ、人はここまで進化してきたのだろうな、とも思いました。
仏教には煩悩という言葉がありますが、その煩悩をなくすことが、苦から解放されることへとつながるということもわかるような気がします。
ここで、好きで楽しいことがわかっていれば、少なくとも、その好きで楽しいことをしているときは満たされるわけです。
でも、いつも同じ好きで楽しいことばかりしていると、他の願望が出てきて、また満たされれなくなります。
そこで、
- 好きでも楽しくないことを、好きで楽しいことの踏み台にする
と考えるのです。
例えば、とても美味しい大トロの刺身があったとします。
私は月に1回、その大トロを食べるのを楽しみにしています。
でも、毎日食べれば、しばらくすると、当然飽きてしまうわけです。
毎日、贅沢せずに、普通の食事をしているからこそ、月に1度の大トロの刺し身が美味しく感じるのです。
この考え方と同じで、毎日、好きでもなく楽しくもないことは、好きで楽しいことで幸せを感じるために必要なのだと思うのです。
そうすると、好きでもなく楽しくもないことにも、意味があると思えます。
もう1つは、
- 幸福感ではなく、充実感を求める
です。
好きで楽しいことを積み上げて幸福感の底上げをする。
でも、好きで楽しくないことは、充実感を底上げできます。
主婦なら誰でも向き合う必要のある家事ですが、何か1つでいいので続けることを目標にします。
例えば、誰もが嫌がるトイレ掃除を、平日だけは毎日欠かさずする。
ベランダや庭の掃き掃除を週に1回する。
家事ではなくても、誰になんと言われようと、毎日1時間だけは自分の時間を持つ。
週に1回はブログを書く。
こんな感じです。
ここで気をつけたいのが、他人に褒められるためにやらないことです。
自分のために、自分で決めて、自分で実行します。
そして、1ヶ月続いたら、自分にご褒美。
3ヶ月続いたら、自分にご褒美。
半年続いたら、自分にご褒美。
1年続いたら、自分に大きなご褒美(笑)
この繰り返しが自尊心を高めます。
そして、自尊心が高くなってくると、気持ちが充実してくるのです。
人生100年が近づきつつありますから、精神が擦り切れるようなことはできるだけ少なく。
でも幸せな気持ちで、あるいは、充実した毎日が過ごせるような工夫を積み重ねていきたいものですね。