子供を諦めて結婚20年目に思うこと

こんにちは、ラムレーズンです(^_^)

子なし専業主婦の私のブログにお越しいただきありがとうございますm(_ _)m

現在、老後、海の近くで暮らすため、節約&投資について色々と考える日々です。

また、夫婦2人暮らし22年目で、このまま夫婦仲良く穏やかに、そして無理なく身の丈に合った暮らしを目指しています。

よろしくお願いします♪

 

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私は48歳。

結婚生活21年目に入りました。

先日、ほぼ年の変わらない友達と子宮移植が話題になりました。

子宮移植はヨーロッパではじまり、昨年からアメリカでもはじまったのです。

そのニュースを観て、友達は条件が合えば子宮移植をして自分の子供を産みたいというのです。

子供が欲しいという彼女の気持ちを聞いて、私も昔のことを思い出して、久しぶりに切ない気持ちになりました。

そこで、今回は、私の短い不妊治療の経験と、子なし夫婦としてやってきた20年間を振り返りつつ、子供のいない夫婦の良い点、悪い点などを書いてみようと思います。

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短かった不妊治療

私が結婚したのは27歳のときでした。

結婚を機に仕事をやめ、しばらくは専業主婦生活を楽しんでいましたが、次第に退屈になり仕事をはじめました。

仕事をはじめると仕事が面白くなって、子供のことなんてまったく考えない日々でした。

ところが、29歳のある日、腹痛が酷くなり病院で調べてもらうと、卵巣嚢腫だということがわかりました。

卵巣嚢腫は、卵巣に良性のおできのようなものができる病気なのですが、私の場合かなり大きくなっていて、同時にPCO(多嚢胞性卵巣症候群)であることもわかったのです。

PCOとは、卵巣にできた卵が排卵されず卵巣の中に卵がたまっていく症状で、この症候群の人は子供ができ辛いため、卵巣嚢腫の手術のあとに不妊治療をするように先生から言われました。

卵巣嚢腫の手術は無事終わり、三十路を病院で迎え、退院してからは体調も良く、先生に言われた通り、不妊治療を開始しました。

タイミング法からはじまり、排卵誘発剤を使ったタイミング法まで行ったところで、今度は卵巣腫瘍ができていることがわかりました。

卵巣嚢腫を摘出してから、1年半後のことです。

病院の先生からは「80%から90%の確率で卵巣癌なので家族を呼んでください」と言われ、不妊治療どころではなくなり、病院のベッドが空くのを待ってすぐに手術となりました。

手術をして組織検査をしましたが、ラッキーなことに腫瘍は悪性ではなく、その後は何の治療も必要ないということで、終わったのです。

その後、体は元気になりましたが、排卵誘発剤を使うと、また卵巣腫瘍ができるのではないかと思い、この時点で、子供は諦めて、不妊治療を終わらせることにしました。

31歳のときでした。

それでも子供が欲しいと思うとき

子供を諦めたつもりでしたが、それでも35歳くらいまでは、もしかしたら自然妊娠するかもしれないという希望を持っていました。

それが、何年たっても妊娠せず、35歳を過ぎたあたりでは、子供のいる人と会話するのも嫌になり、どんどん友達は減っていきました。

また、子供のいる友達の家に呼ばれると嫌とは言えず、仕方なく行くのですが、家に戻ってくると、泣いて夫に「不妊治療がしたい」と言って困らせました。

夫は、不妊治療をすると私が病気になってしまうかもしれない、ラッキーは2回もないと思っていたので、絶対に譲ってくれず、いつも断固反対でした。

さらに、友達は減り、新しく子供のいない友達ができても、その人に子供ができると疎遠になる、ということを繰り返していました。

そして、37歳のとき、夫がアメリカへ異動することが決まります。

当時の私は仕事をしていましたが、在宅でもできる仕事だったので、二つ返事でオッケーしました。

そして、アメリカでの暮らしが始まってからの数年は刺激的で、英語が上手に話せないことでストレスはありましたが、以前のように暗くなることはありませんでした。

ところが、趣味としてあるクラスを取っていたとき、そのクラスの先生の奥さんが妊娠したことを知ったのです。

先生の奥さんは私と同じ年で、若いころに乳癌を患って、治療のために長いこと子供を作ることができなかったのですが、いよいよ乳癌の治療が終わったというときに、妊娠を希望し、不妊治療を開始してたったの2回で妊娠しました。

子供が欲しいという気持ちが真夏の積乱雲のように私の中でムクムクと生まれてきたのを感じました。

私はそのときすでに40歳になっていたので、必死に夫を説得しましたが、夫は私を失うのは絶対に嫌だの一点張りで、その後、大喧嘩になり、卵巣腫瘍の手術をした時に、夫がどんな風に思っていたかを聞かされました。

私が癌で死んでしまったら、後を追って夫も死ぬつもりだったと、普段淡々としている夫が考えていることとは思えない内容でした。

もちろん、不妊治療は諦めることにしました。

そこからは、子供のことを考えることはありましたが口に出すことはなく過ごしていました。

本当の意味で子供を諦めたとき

そして、45歳で精神的にも肉体的にも調子が悪くなり、最初は何が原因かわからなったのが、しばらくすると、更年期のはじまりということがわかったのです。

女性ホルモンが急激に減って、女性としての私の体は終わりに近いづいていているんだと自覚しました。

このときが、子供を本当の意味で諦めたときでした。

同時に、のどの奥に刺さっていた魚の骨が取れたときのような解放感も味わっていて、女性の体としては機能不全だったけど、長い間ご苦労様でした、と思ったのです。

子供のいない夫婦の20年間を振り返ると

というわけで、40歳のときに不妊治療をしなかったことで、99%は諦めてはいたのですが、45歳のとき更年期とわかり、肩の荷が下りました。

ただ、子供がいないからといって私たち夫婦が毎日暗く過ごしていたかというと、まったくそんなことはありません。

子供のいない夫婦の特権は、時間もお金も場所も自由になること。

夫婦二人で過ごしていれば、何も辛いことはなかったので、仲良く好きなときに好きなところへ旅行して楽しんできました。

それでも問題は、子供がいないことに茶々を入れる親戚たち。

そして、将来子供を持ったときのためにとアドバイスをしてくる子供のいる知人、あるいは、子供の話題と夫の愚痴が大好きな知人たちとのおつきあいでした。

親戚に関しては、悪気がないのは重々承知しているので、会うのは冠婚葬祭のみにしました。

アメリカへ引っ越してからは冠婚葬祭も参加できないので、会っていません。

あと、子供のいる人との人間関係ですが、あまり交友関係を狭めすぎるのはいけないと思っていた部分もあって、30代前半は無理してお付き合いしていました。

30代後半になると心が受け付けなり、40代に入ってからは、無理をするのをやめました。

子供がいる人とは仲良くなりたくないオーラを漂わせ、それでも近づいてくる人には、「共通の話題がある方が楽しい」ということを強調したり、子供の話題をされるとつまらなそうな顔をしたり、手を変え品を変え、距離を保つようにしました。

あと、大きなグループに属すると話題の中心は子供になることが多いので、その輪にも入らないようにしました。

このように、子供のいる人たちから逃げ回っていますが、それでも、同じ匂いのする人は集まるもので、わずかですが子なし友達はできていきます。

自分のこの行動が、よいことなのか、わるいことなのか、いまだにわかりません。

でも、私にとってはこれが正解で、人間関係のストレスは激減しました。

そんな状態なので、人間関係はとても狭くなりましたが、心穏やかに生活できるようになりました。

夫との関係は、喧嘩もするけど、基本は仲良しです。

あまりにもいつも一緒にいるので、一心同体とかソウルメイトという言葉が最も近い表現だと思います。

そんな夫婦関係なので、週末の土日に夫婦別々で過ごしたことは結婚生活の20年間で10回くらいしかありません。

また、子育てにおける夫婦間での価値観のぶつかり合いや、日々のストレスとは無縁なのも、子なしならではです。

現在は、夫がリタイアしたあとのことを楽しみに生きています。

夫がリタイアしたらどこに住もう、何をしようと思いをはせつつ、でも、最終的には、夫がリタイアしてから二人でゆっくりと一緒に決めようと思っています。

それまでは、夫は夫のやりたい仕事を思いっきりしてもらって、私は趣味に燃える毎日を過ごして、老後を思いきり楽しむためにたくさんお金を貯める予定です。

子供ができないことで、女性として何の役にも立たない自分の体を人間として不完全だと責めたり、他人の生活を意味もなく羨んだり、心の中にスライムを飼っているんじゃないかと思うような時期もありました。

でも、更年期を迎えて気持ちに整理がつくと、20年間変わらず夫はそばにいてくれて、20年間変わらず私は夫が大好きで、夫と結婚して本当によかったと思えるのです。

だから、子供ができなかったことは本当に残念だったけど、夫というかけがえのない存在と出会えたことだけでも、感謝しないといけないなぁと思うのでした。

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