昨日のブログ、
では、
- 自己肯定感、持っていますか? あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法
という本を参考に、
- 自己肯定感を高めるような行動をした
ということを書きました。
具体的には、週に1回の色鉛筆画のクラスで、
- 感じのよい自分を演じるのはやめる
- プライオリティは人間関係ではなく絵を習うことだと認識する
- クラスの先生と他の生徒さんにリスペクトの気持ちを持つ
の3つを念頭に置きました。
結果、クラスに参加することがとても楽になり、心のぽかぽかを経験することができたのです。
その翌日のことです。
週に1度の趣味仲間と会う日でした。
彼女と出会ってから2年弱が経過しているので、さすがに会うときに緊張はしなくなりましたが、
- 心のつながりはありますか?
と問われると、
- 仲間であって友達ではない
と思っている(思い込もうとしている?)ので、
- 心がつながっている感覚はない
というのが正直がところです。
それよりも、
- 友達ってどんな感じだった?
というくらい、友達という感覚がありません。
もしかしたら、小学生の時にできた友達がいたのですが、母親から、
- あの子とは友達になったらダメ
と、無理やり友達をやめさせられたときから、友達はいなかったのかもしれません。
冷静に考えて、文章にすると、友達という感覚がない自分に唖然とする部分もあるのですが、事実なので仕方がないです。
で、そんな趣味仲間の彼女に会う前に、本の内容をざっと読み直して復習しました。
そして、
- 相手を無条件にリスペクトする
- 相手の話しをよく聴く
- 決めつけをしない
の3つを実行しつつ、
- 人は前へ進むように努力するものだ
ということを信じるようにしました。
その結果、やはり、色鉛筆画のクラスが終わったときと同じで、趣味仲間との時間をすごく楽しむことができました!
たまに、私の心の中に、決めつけが出てきてしまうのですが、それでも、
- あんなこと言わなければよかった
という気持ちにはならず、それよりも、
- リスペクトするってことは、なんて楽なのでしょう
という気持になりました。
本には、
- すべてを正直に話すことだけが心のつながりをもたらすわけではない
と書かれているのですが、その意味するところが、今回わかったような気がします。
というのも、私は、子供のいる人に、子供のいない私が思っていることを正直に話すということはありませんでした。
理由は簡単で、理解されないと思っていたからです。
そのため、趣味仲間にも、正直なところは話していないし、今後も話すつもりはないのだけれど、それでも、2年弱も時間をともにしてきた仲間なのだな、とはじめて思えたのです。
これが、本の中に書かれている
- 心のつながり
なのか
- 共存
なのか、よくわかりませんが、趣味仲間と会った後に感じていた、寂しさや不安のようなものは、なくなりました。
今まで、私は、自分なりに試行錯誤しながら、納得しながら、自分の人生を歩んできたつもりです。
その中に、常に生き辛さは感じていたけれど、それは
- 私は変わっているから
という理由で片付けていたのです。
ところが、今回、自己肯定感を高めるということをするだけで、生き辛さから解放されるなんて、思ってもみませんでした。
私が変だったのではなくて、
- 私の心に人をリスペクトする気持ちがなかっただけなのだ
とわかったのです。
そんな気持ちの解放を味わって、帰りの車の中では、生き辛さや、それにまつわる過去の出来事や、色んな気持ちが溢れて、1人でおいおい泣きながら帰ってきました(TT)
そして、その日の夜、ご飯を食べながら、本のこと、本の通りに実行して私が感じたことを、長々と夫に説明すると、
- それはよかった!お祝いしよう!
と言ってくれて、また、おいおいと泣きながらご飯を食べたのでした。
ただ、まだリスペクトするという思考回路ができあがっていないようで、相手の話しをよく聴いて、かつ、決めつけをせず、相手をリスペクトしながら会話を続けるということ自体は、すごく疲れを感じました。
今まで使っていなかった脳みそをたくさん使ったのだと思います。
今後は、この思考回路を発達させて、人間関係が楽に構築できるようになればいいなと思っています。
私は自分が普通だと思っていました。
今も普通だと思うのですが、変わってる人だと言われ続けています。
多分、主人だけです。普通だと言ってくれるのは。
会う人会う人、みんなに変わってるね!と、多分悪い意味ではないのかなと思いますが言われ続けていると
そうなのか、私は変わってるのか~
じゃ、それでいいや、で落ち着いてます。
思っても、私の普通とみんなの普通が違う事があるんだな程度にしか思っていないのが本音です。
人付き合いが苦手だと思うようになったのは、ここ数年で、それまで思ったことなかったんですよね。
昔のように戻りたいと思いつつ
戻れないでいる私には、今回のお話は大変参考になりました。
ありがとうございます✨
ももさん、こんにちは(^^)コメントの返信が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m
私も、普通だと言ってくれるのは夫だけだったりします(笑)でも、変わっているということは悪いことではないと思うのですよねー。それよりも、変わっているということを言われたり、感じたりし続けることで、自分も相手も壁を作ってしまって、お互いがありのままの状態でいることができなくなってしまうことがいけなかったのかなーと。相手をリスペクトする気持ちを持てば、どんな人のありのままも受け入れることができるようになるのかもしれませんねー。
相手に対してリスペクトを持って接するということは、とても大切なことなのでしょうね。相手からリスペクトされていないと感じるとやっぱり悲しく、私は一体彼女にとって何なんだろうと思ったりもするので、やはり人間にとってこれはとても重要な部分なのだと思います。でも私も今までリスペクトについてあまり考えたことがありませんでした。だから私も相手に対して常にリスペクトを持って接していたかと問われれば、分からなくなります。
偶然にも数日前に私がある知人のことを夫に話していたとき、「彼女は○○さんに対して全くリスペクトがないね」と、”リスペクト”という言葉を使っていて、まさにラムレーズンさんが書かれていたように、”リスペクトを持って接するべき”と言ったのです。私があまり深く考えたこともなかったこの”リスペクト”、多くの人がこのことを念頭に行動しているのかなとふと思いました。
でもラムレーズンさんはいろいろなことに気付かれて、常に改善や前進を心がけられていて、素敵だなと思います。私もこうしてラムレーズンさんのブログから、また本などからもっといろいろなことを学んでいけたらと思います!
菜の花さん、こんにちは(^^)コメントへの返信が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m
リスペクトという言葉は日本人にとってあまり馴染みのない言葉ですが、菜の花さんのご主人にとっては当たり前の感覚なのですねー。私も、相手を尊重するということを、頭の中では理解していても、実際はどうすればいいのかわからなかったりしていたので、前進したり、後退したり、色々ですが、できる範囲で進んでいけたらなーと思っています。