しばらくブログの更新をお休みしていました。
その間、何をしていたかといいますと、日本へ遊びに行ってました(*^^)v
最初に私の兄夫婦と会って、次に夫の実家へ移動して義母に会って、最後に夫婦2人で東京で遊んできました。
毎年ほぼ変わらずのスケジュールです。
そんな恒例の日本訪問ですが、全体的には楽しかったものの、考えさせられることもありました。
それは、義母を含めた高齢者の暮らしぶりです。
今回は、子なし夫婦にとっての老後、について思ったことを書こうと思います。
矛盾していることが満載な義母
義母は現在70代半ばで、一人暮らしをしています。
義父は夫が子供の頃に他界していて、それ以来、女手ひとつで夫を育ててきました。
義母がリタイアしたのは67歳で、それからは常に頭が老化しないための努力を怠らず、あちこちの高齢者向けの集まりに参加して、それはそれは毎日忙しく過ごしています。
電話で話しをしても
- 忙しくしてる
と言うので、義母は義母なりに老後の暮らしを楽しんでいる...と思っていました。
ところが、実はそうでもないのかなーと思い始めたのです。
義母は昔から、
- 日本尊厳死協会の会員になる
- 死ぬときはポックリ死にたい
- 肺炎が一番楽に死ねる
- もうすぐ死ぬんだから笑って死にたい
など、死ぬことに関してよく考えていて、話題にもします。
そんなことを言うので、案外と死に関しては達観しているように私には思えたのです。
でも、肺炎で死ぬのが楽だといいながら、インフルエンザの予防接種は受けています。
また、お世辞にも家の中が整理されているとは言えません。
そして、グループホームが何のための施設かを知らなかった上に、グループホームのことを話題にすることさえ嫌がります。
(ちなみに、グループホームとは認知症の人のための施設です。)
死ぬことどころか、近い将来のことを考えることも拒否している状態です。
今まで義母の話す内容をあまり深くは考えなかったけれど、よくよく耳を傾けてみると矛盾していることがたくさんあるように感じました。
今回、義母の姉にも会ってきました。
その義叔母は、なにかにつけて
- 早く(天国の夫に)お迎えに来て欲しい
というのです。
最初は、
- この先楽しいこともなく、早く死にたいと思っているのかな?
と思ったのですが、行動はまったく義母と同じです。
これは、私の実母が癌だとわかって余命宣告されたときのことです。
母は、元気なうちにと、身の回りの物をものすごい勢いで整理しました。
また、癌で苦しんで死ぬよりは肺炎で死んだ方が楽だと思っていたので、インフルエンザの予防接種はしていませんでした。
死を覚悟するというのはそういうことだと思うのです。
でも決して、死を冗談に使うようなことはしませんでした。
もちろん、早く迎えに来て欲しいなんてことも言いませんでした。
もしかしたら義母も義母の姉も、死に対する恐怖や、多少なりとも孤独を感じていて、それを言葉に出すことで不安を払拭しているのかもしれない。
そんな風に思ったのでした。
不安なときは不安に思っていることについて徹底的に調べる
そんな義母や義母の姉の様子を見て、私だったらどうするかを考えはじめました。
私はもともと、
- もし○○だったらどうするか
を考えるのが大好きです。
つい最近では、
- もし認知症になったらどうするか?
を考えました。
そのときに、グループホームと呼ばれる施設があり、いざというときには利用できると知ったのです。
ついこの間、台風で北海道のグループホームが洪水に合って施設にいた方が亡くなりました。
私がグループホームについての知識がなかったら、
- なんて酷い施設なんだ!
と思って、グループホームには絶対入るまいと思っていたかもしれません。
でも、グループホームが何のための施設かを知っていたので、
- 認知症の人たちを10分足らずの時間内で安全な場所へ非難させるのは非常に困難だろう
と思えたのです。
なので、私が認知症になったら、
- グループホームのお世話になるのがベスト
だという考えは変わりません。
このとき、何かを正確に知るということは大切なことだと改めて実感させられました。
実際、漠然とした不安を抱えて悩むよりも、
- 調べて、実際に見て、現実を知る
ということをするだけで、不安なことの90%以上は解決できると私は考えます。
それでも解決できない10%は、
- お金で解決できることであればお金を貯める
- 将来改良されることを期待する
それでもダメなら、
- 諦める
しかありません。
私はグループホームの他にも、老人ホームやシニアセンターを訪れる機会があれば、よく観察するようにしています。
何も調べずにただ不安になっているよりは、気持ちはずっと楽になると思いませんか?
子ありでも子なしでも年取ると実はあまり関係ない?!
ところで、現在高齢で子なし夫婦という人に私は会ったことがありません。
そのため、子なし老夫婦の暮らしをまったく想像できずにいました。
でも、今回、義母に連れられて、義母と同じ年代の方に会ったのですが、高齢になると、子ありと子なしとの暮らしぶりに、大差ないと思ったのです。
例えば義母の場合、息子(夫)がいますが、海外に暮らしているので会えるのは多くて年に1回です。
そのため、
- 緊急の連絡先は息子(夫)ではなく義母の友達
になっています。
また、夫は海外に住んでいるため、老人ホームなどの保証人になれないことが多いようです。
義母が老人ホームに入所する際は、
にも書きましたが、何らかの有料サービスに申し込む必要がありそうです。
また、義母の姉には息子さんが2人います。
うち1人は遠くに住んでいる上に、嫁姑の関係が悪いようで、年に1回か2回会える程度です。
もう1人は数年前に近くに引っ越してきたのですが、同居しているわけではないし、仕事は忙しいしで、何かあれば手伝ってくれるでしょうが、進んで何かをしてくれる様子はなさそうです。
また、義母の友人にも何人かお会いしたのですが、子供がいていいなと思うのは、
- 専業主婦の娘さんが近くに住んでいる場合
それも、
- 親子で良好な関係を築いてきた場合
のみのような気がします。
それよりも、高齢者の数は本当に多くなっています。
義母は市営の住宅に住んでいますが、一人暮らしのお年寄りの多いこと!
建物の半分以上は一人暮らしのお年寄りです。
年に何回か子や孫が遊びに来る人はいるでしょうが、だからと言って、普段の生活は変わりません。
子供がいようが、いまいが、おひとりさまであろうが、なかろうが、まったく関係ないようです。
そのため、私が感じたのは、子供がいることよりも、
- 夫婦仲良く健康
でいることが最も重要で、
- 夫婦あるいは1人でも楽しめることを持っている
こと。
そして、配偶者に先立たれたら、
- 人が不快になるようなことを言わずに良好な人間関係を築ける
ことの方が楽しい老後を過ごせるのではないかと思います。
その人間関係も高齢なると、シンプルです。
- 常に自分が正しいと思ってしまう
- 自分の意見を他人に押し付けてしまう
- 人をコントロールしようとする
- 嫌味を言う
- 人の悪口を言う
- 人の好き嫌いが激しい
- 人の話しを聞かない
などなど、誰でもが嫌だと思うようなことをしなければいいだけです。
また、そういう人がいたら、右から左へ聞き流す。
これだけで十分です。
そして、そんな中から、心許せる友達を焦らず少しずつ増やして、お互い助け合いながら生きていくのが理想です。
さいごに
私は、孤独死や孤立死は仕方がないと思っています。
これは怖くないということではなく、大好きな人に看取ってもらえる確率はとても少ないと思うからです。
ただ、自分の老後を考えた時に、健康寿命と寿命の間の期間はできるだけ短くしたいと考えています。
また、孤独を感じることは、心にも体にも悪い影響があるという統計があるので、孤独を感じる時間もできるだけ少なくしたいと願っています。
そのためにできることは何か?と考えると、
- 夫婦仲良くすること
- 健康である努力をすること
はもちろんですが、
- 現実をよく知ること
- 自分の楽しみを見つけること
そして、
- 上手に友達を作ること
が必要だと感じました。
老後の暮らしがはじまるまで、まだ時間があるので、ゆっくりと実践していきたいと思っています。