先日ふと、子ありと子なしの人間関係について思うことがありました。
それは、子ありと子なしが会話する内容についてです。
今回は、子ありと子なしの話すネタについて書こうと思います。
子なしの日常は贅沢なのか
子なし専業主婦の日常は、習い事や趣味、旅行なんて人が多いと思います。
私は習い事に陶芸、趣味として編み物、旅行は年に2回です。
旅行が日常?と思われる方がいるかもしれません。
これは、普段のんびりと子なし夫婦だけで過ごしていると、感情が揺さぶられることが非常に少ないのです。
そのため、週末に美味しいものを食べたり映画を観たりするのと似た感覚で、わが家は旅行を楽しみ、心が乾かないようにしています。
これだけを聞くと、すごく贅沢な毎日のように聞こえますが、実際には全然そんなことありません。
習い事の陶芸は年間5万円ほどなので、月々にすると5000円以下で済んでいます。
編み物は、そんなにたくさん編めるものではないので、平均すると月に5000円くらい。
旅行は、夫が仕事で出張が多いため飛行機のマイレージが大量にあり、必要なのはホテル代のみです。
そのホテル代も、お盆や正月に旅行しないので安く済みます。
最近は物欲もなくなってしまって、本当にお金を使わない生活なのです。
そんな現実を理解してくれる子なし主婦同士では趣味や旅行の話題で盛り上がりますが、子あり主婦の中ではまったく盛り上がりません。
- 子供がいないと趣味も旅行も楽しめていいねー
なんて抑揚のない声で言われたときには、がっくりです(T_T)
子なしの日常は自慢話しになってしまう?
なんでこんなことになるのかというと、単純に
- 自慢話し
に聞こえているのでしょう。
私にしてみれば、
- 子供のオムツが取れた
- 子供が小学校に入学した
- 子供がコンクールで賞を取った
という話題と同じ感覚のつもりでした。
そんな子供の話題も、子供が欲しくてできなかった私にとっては、
- ある意味自慢話し
にも聞こえます。
それは
- 子育ての悩みであったとしても子供がいるだけで幸せ
だと思うからです。
そう考えると、子なし主婦と子あり主婦が感じる
- 日常と贅沢は真逆
になっているのです。
理解されないという状況は避ける
ここで、すでにお互いの状況を理解できる人間関係が出来上がっていればいいのでしょうが、若い時からの友達同士であればいざ知らず。
大人になってからの知り合い同士ではなかなか難しいと言えます。
となると選択肢は、
- 理解されないまま付き合い続ける
- 理解してもらうように努力する
- 付き合わない
のいずれかになります。
私は40代後半になっても、いまだにこの選択肢に悩んでいます。
正直なところ、
- 理解してもらうように努力するのはしんどい
のです。
相手を嫌いでなければ、
- 理解されないまま付き合い続けるしかないのかな
と思っています。
- 付き合わないという選択肢は本当に辛くなったとき
には考えます。
ただ、ここで1つ問題があります。
アメリカの心理学者のマズローさんによると、人の欲求は5段階に分かれているのだそうです。
その5段階とは、
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 社会的欲求/所属と愛の欲求
- 承認(尊重)欲求
- 自己実現の欲求
となっています。
この中で、人に理解してもらいたいという気持ちは
- 社会的欲求/所属と愛の欲求
- 承認(尊重)欲求
のいずれかに入ります。
どちらに入るかはその人の状況によって異なるのですが、その欲求が
- 社会的欲求/所属と愛の欲求
だとしたら気をつけないといけません。
というのも、
- 社会的欲求/所属と愛の欲求が満たされないことでうつ病になる人が多い
からです。
会うと気分が落ち込む相手とは、距離を置くことをおすすめします。
さいごに
心理学者のマズローの説いている自己実現論がすべて正しいとは思いませんが、人の欲求には段階があるというのは理解できます。
特に、
- 愛されている
- 自分が社会に必要とされている
- 他人に受け入れられる
- 何かのグループに所属する
ことで、社会的欲求/所属と愛の欲求が満たされるというのは納得できます。
この欲求が満たされると、
- 孤独は感じない
のだそうです。
もし、気持ちが落ち込むことが続くという方がいれば、この
- 社会的欲求/所属と愛の欲求
について、考えてみるのも1つの方法かもしれません。