人の感情は喜怒哀楽という熟語で表現されます。
この喜び、怒り、哀しみ、楽しみは、誰もが持ちえる心の状態で、とても身近なものですよね。
自分で今どの感情が沸き起こっているのかはすぐにわかりますし、他人でも、その人の顔を見れば、なんとなくでも今どんな気持ちなのかはわかります。
それに対して「孤独だ・・・」「寂しい・・・」という気持ちは、表に出にくい感情です。
孤独を感じる時というのは、物理的に1人の時もそうですが、心がどんな人や物事にもつながっていない状態の時に起こる感情ですから、そもそも寂しいという気持ちを話す相手もいなければ、理解してもらえる相手もいません。
なので、この気持ちを抱えていることは、他人にはわからないのです。
私自身、そんな寂しいスパイラルに陥ったことは何度もあります。
でも実は、それが孤独感だとは思っていませんでした。
2017年に「「孤独力」で“ひとりがつらい”が楽になる」を読んだのですが、
- 人は、物理的に1人ではなくても、自分の心が何ともつながっていない感覚になると孤独を感じる
と書かれているのを読んではじめて、1人じゃなくても孤独って感じるものなのだと知ったのです。
そういう意味では、困っていることを母に理解してもらえなかったり、友達とうまくいかなかったり、辛い気持ちを夫に理解してもらえなかったりしたときに、とても寂しい気持ちになったのを覚えています。
今思えばあれが孤独だったのだと認識したくらいです。
でも、物理的に1人になる孤独よりも、誰にも理解してもらえないと思った時のほうが寂しいという気持ちは圧倒的に強かったように思います。
そして、老後の孤独はその延長線上にあるのかと思ったのですが、「孤独こそ最高の老後」を読むと少し違うような気がしました。
まだ1人で行動ができるうちは理解してもらえない寂しさの方が強いのかもしれませんが、体が思うように動いてくれなくなって、行動に制限が出始めると、自分の人生がもうすぐ終わりを迎えるんだということに対する寂しさの方が強くなるのかなと思います。
そして「孤独の達人 自己を深める心理学」は孤独の極め方が紹介されているのですが、どちらかというと方向性としては「嫌われる勇気」と似ています。
どちらも心理学の本なので方向性は似たようになるはずですが、「孤独の達人 自己を深める心理学」は自分との向き合い方にフォーカスしているのに対して、「嫌われる勇気」は人との関わり方にフォーカスしているような気がします。
参考までにさきほど紹介した「「孤独力」で“ひとりがつらい”が楽になる」は自己肯定感にフォーカスされています。
それぞれアプローチが違って面白いです。
そんな心理学の本に共通することは、とにもかくにも、自分の心と向き合うことです。
嘘偽りのない自分と向き合うことで、自分を受け入れて認めてあげるのが第一歩になるようです。
私の場合で言うと、友達が少ないということをまず受け入れないといけません。
確かに、これは変えようのない事実なので仕方のないことです。
では、今後どうするのかいうと、それは一般論で考えず、私はどうしたいのかを中心に考えていきます。
そうすると、「気の合う友達は欲しいけど、気の合わない友達はいらない」というのが正直な気持ちです。
友達の多い方は、「そんな人いないよ」とか「そんなの無理」とか「そんなことしてたら友達できないよ」と思われるかもしれません。
でも、気の合わない人と無理して会うのは、お互いにとって無駄な時間だと思うのです。
時間をかけて話しをしたら気の合う人になるかもしれないとも思うのですが、そこまで友達を求めていません。
この考え方が普通だとは思っていませんが、私はそう思うので、その自分の思いを尊重すると、今後はアンテナは張りつつ、でも気長に、気の合う友達と出会えることを待つという結論になります。
不思議なもので、自分の正直な気持ちに従って気長に待つと決めてしまうと、気持ちがスッキリします。
この方法で、どこまで孤独と向き合えるのかわかりませんが、明らかに、対策しないよりはした方が気分が良いのはわかります。
色々あるけど、孤独と向き合いつつ、来年も楽しい年にしたいと思います。