子供のいない夫婦が終わった夫婦にならないために

少し前、内館牧子さんの

を読みました。

映画化されたようで、アマゾンで紹介されている概要は以下の通り。

大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマを描いた、大反響ベストセラー「定年」小説。

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夫も終わった人になるときがやってくる

この小説を読んで一番最初に思い浮かべたのは、やはり夫。

夫は現在40代半ば。

典型的な技術者なので、仕事は楽しくて仕方がない様子。

一応リタイアするために目指している貯金額があり、「○○お金が貯まったらリタイアする!」と言っていますが、仕事以外に趣味のない人なのでリタイア後に主人公の田代壮介になる可能性大_| ̄|○

そのため、以前は早くリタイアしてくれないなかーと思っていましたが、この小説を読んで気持ちが変わりました。

夫が納得できるところまで仕事してほしい!と思うようになり、そのための環境を整えるのが私の役目と思うように。

とはいっても、妻の私にできることといえば、いつもそばにいることと、体に良さそうな食事を作ることくらいなんですけどね~。

子なし主婦の私にも終わった人になる

そして、子なし専業主婦の私はどうなんだろうと考えはじめました。

今は、主婦業と趣味で十分すぎるほど楽しい毎日です。

でも、それは夫が仕事をしているからと思わないでもありません。

というのも、私は夫がどんな仕事をしているのか聞くのが好きです。

詳しいことはわかりませんが、自分の知らない世界の話しを聞くのは、シンプルに楽しい。

その夫の話しというのが、実は、友達の少ない子なし主婦の私にとって、外とのつながりになっているのではないかと思うのです。

ですから、今後、夫がリタイアして仕事の話題がなくなったら、外とのつながりがなくなるかもしれません。

あるいは夫に先立たりしても同じことが起きます。

そんなときに生き甲斐や居場所を探して右往左往することはないんだろうか。

そんな心配があるのです。

そもそも気力がなければ生き甲斐はみつからない

これは最近になってわかったことですが、生き甲斐や日々の楽しみは、心身ともに健康でないと見つからないということ。

これは、人の気力というものは、健康だからこそ出てくるもので、そうでなければ、気力というのはなかなか出てこない。

そんな風に思うからです。

2年ほど前、夫の体調が悪くなったことがありました。

おそらく、転職したばかりでストレスを感じていたのと、コレステロール値が高かったことが影響していたように思います。

それまで病気らしい病気をしたことがなかったこともあり、かなり不安に感じたようです。

それでも仕事を一生懸命やってはいましたが、気力は感じられませんでした。

同様に、私自身も5年ほど前に体調が絶不調になったときは、生き甲斐どころか、楽しみさえ見つけることができませんでした。

毎日の家事が苦痛で苦痛で仕方がなく、編み物をして自分で自分を癒すので精一杯。

そのため、生き甲斐や楽しみが見つからないときは、まず自分の身体に目を向けることが肝心なのだと思ったのです。

自分の価値を知らない人は生き甲斐もみつからない

次に思うことは、本当に必要なものだけにお金を使う習慣を身につけること。

流行っているから、まわりの人がみんな持っているからという理由だけでお金を使っていると、自分にとって本当に価値のあるものが見えなくなります。

自分にとって何が大切なのかがわからなければ、生き甲斐だって見つかりませんよね。

また、SNSでいいねをもらうことや、インスタグラムのフォロワーを増やすことに躍起になるあまり、そのためにお金を使って写真を撮ってという生活している人も同様のように思います。

自分の評価を他人にしてもらうわけですから、そこにあるのは自分ではなく、他人にとって都合の良い自分ということになります。

他人は自分の生き甲斐なんて見つけてくれませんから、気がつけば、何もないということになりかねません。

居場所は人それぞれ違う

そしてさいごに、居場所を見つけることに長けること。

そのために、まずは居場所に決まったものはないということをしっかりと理解しないといけません。

数年前、あるボランティアの集まりに参加していたことがありました。

みんなで集まって、病院に入院している子どもたちのために、毛布を作って配るというものです。

毎週参加して毛布を作っていましたが、充実感がないのです。

おそらく、毛布を使っている姿や、実際の子どもたちの様子を見ることができなかったからだと思います。

他のボランティアのメンバーが、毛布を使った子どもたちのせめて写真でも見せてもらえないかとお願いをした人がいましたが、その希望は叶えられませんでした。

そのため、居場所のような気持ちにはなれず、足は遠のいていったのです。

でも、私はダメでしたが、ボランティアを居場所と感じる人はたくさんいると思います。

あるいは、趣味のサークルに参加するとか、習い事に毎週通うことを居場所だと感じる人もいるでしょう。

高齢になっても仕事をされている方は、仕事をすることが居場所のように感じているのでしょうし。

そして私が居場所と感じたのは、なんてことはい、友達と定期的に会って、他愛のない会話を楽しむ。

それが私の居場所だとわかりました。

その友達というのも、同年代であること。

更年期世代なので、同年代の友達が一人いるだけで、気持ちが和むのです。

自分の居場所さえわかれば、あとは、その居場所がなくならないように努力するのみ。

できるだけ早く自分の居場所がどこかを探しておくといいですね。

さいごに

終わった人は、小説としての面白さもありましたが、近い将来の生き甲斐や居場所について考える機会を得ることができという意味でも、大変興味深いものでした。

普段の表情からは読み取れない秘めた思いというのは誰でもあるもの。

今後は、夫の秘めた思いはもちろん、自分自身の秘めた思いにも敏感になっていけたらと思います。

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