同じ日本語を話しているはずなのに、コミュニケーションができないという経験をしたことはありませんか?
ブログを書いていると、ブログを読んだという方からよくメールをいただきます。
以前、リアル友活用に書いているブログにメル友になって欲しいというメールがあり、
- 家から出る機会を増やすことが目的なので、現在募集しているのはリア友のみです。大変申し訳ありませんが、メル友は募集しておりません。ごめんなさい。
と書いたことがあります。
すると、
- 私も車の運転ができず、夫に運転してもらっているような状況で、リア友はいるのですが、なかなか会うことができないのです。
というお返事。
「私も車の運転ができず」ではじまる文章なので、「車を運転できないなんて言ってないのに?!」と思ってしまったんです。
そのため、何を言っているのかまったく理解できず。
その後、色々と想像してみたら、
- 家から出る機会を増やしたい=現在は車の運転ができないから外に出れない
という解釈をされたのか?
この人、これ以外にも色々あり、突拍子もない解釈をする人だなぁと思っていたのですが、すべての元になっているのは、「自分標準に物事を考える」ことのような気がします。
どういうことかというと、その人が外に出れないのは、その人自身が車が運転できないことが理由なわけです。
だから、私が外にでる機会を増やしたいのも、車の運転ができないから、と解釈するのではないかと。
さらに、言葉が足りないのでは?とも考えはじめました。
- 私も(家から出たいと思っていますが)車の運転ができず、夫に運転してもらっているような状況で、リア友はいるのですが、なかなか会うことができないのです。(そのため、メル友を探していました。)
たぶん、これが正解じゃないかと思っています。
リアルだとわからないことがあればその場で質問すればすみますが、メールだと、質問をしても、またその答えがわけわかめになるんです。
こうなると、メル友になるのも難しいです。
このブログにも連絡先を書いていますので、メールをいただくことがあります。
大前提として、連絡先を書いているのは、ブログに広告を貼るために必要だからです。
また、「はじめに」というページに連絡先を書いていますが、そのページはブログについての説明。
そのページに、
- ご質問にはできる限りお答えしていきたいと思っています。
と書いていました。
すると、延々とその人の状況が書かれ、最後に
- ラムレーズンさんならどうしますか?
というメールが届くのです。
ちなみに私の理解で質問は、大抵、はい、いいえで答えることができ、説明を加えるとしたら簡単なもの。
でも、メールを送ってきた方の理解では、人生相談的な内容までが質問に含まれる、ということになります。
同じ言葉を話す人間でも、こんなにも解釈が異なるなんて。
同じ日本語を話していればコミュニケーションができる。
長い間、それが当たり前だと思ってきました。
でも実は、単語の意味や物事の解釈が少しでも違うと、話している内容の解釈も少しずつずれていきます。
そこに、相手を理解しようと気持ちがなければ、結果的にコミュニケーションは成立しくなるのですよね。
さらに、相手を理解しようと思ったとき、ネットやメールなど、文字のやり取りだけだと、正直、かなり大変です。
リアルで会ったことがあって、その後、文字でやり取りするのとは大違い。
文字でのやり取りの方が、リアルで会話するより、実は気を使うべきなのかもしれませんね。