実の母が病気になったとき
少し暗い話しになって恐縮ですが。
私の母は4年前に亡くなりました。
母が病気だとわかったのは、母が亡くなるちょうど3年前。
今から7年前のことでした。
当時、母の病気は最新の医療技術を駆使しても完治が望めない状態で。
娘の私にできることといえば、母の緩和ケアについて一緒に考えることと、母と話しをすることの2つだけでした。
そんな母の看病をしていたときのことです。
テレビから流れてくる映像に「死」を連携させるものが多いことに気づきました。
人が死んだり殺されたりというニュース。
バラエティ番組ではタレントさんの体を痛めつける場面。
ドラマや映画の中では、人が死ぬ場面や死体現場などなど。
それまではまったく気にならなかったのに、です。
そして、母の死が近づくと、私はテレビを観ることができなくなってしまったのです。
母のことで、自分の心がとてもデリケートになっているのを感じました。
子供のいない人生に悩んでいたとき
これと非常に良く似た経験があります。
私が子供を諦めた理由についての詳細は、
に書いてありますが。
その中にもあるように、子供のいない人生について悩んでいた30代から40代前半のことです。
平時の昼間、小さなお子さんを連れている母親の姿。
電車に乗っている妊婦さんの幸せ様な顔。
近所を走り回る子供たちの様子。
これらすべてを直視することができない時期がありました。
可能な限り自分の視界に入ってこないように。
視界に入っても、それは見えていないと一生懸命自分に言い聞かせていました。
子供のいない人生に悩んでいたときも、母の死と同様、心がとてもデリケートになっていたのだと思います。
子供を諦めるということは
母の死と、子供のいない人生に悩んでいたこと。
実の母は実在していて、私の子供は実在していませんでした。
それなのに、今だからわかりますが、私の心は同じくらい傷ついていたんだなって思うのです。
たぶん、夫の子供が欲しいと願った瞬間から。
私の心の中に赤ちゃんが誕生していたのでしょうね。
その赤ちゃんは、きっとそのうち、本当に私の手の中へやってくる。
だから、そう思っている間は、寂しくもないし、辛くもないのです。
でも、待っても待っても、やってこなくて。
子供を諦めないといけない年齢になって。
いい加減、心の中にいる私の赤ちゃんを手放さないといけなくなって。
でも、手放すということは。
私の赤ちゃんに永遠に会えなくなるということ。
それは、私の赤ちゃんが死んでしまうということを意味するのです。
そのため、私の心は深く傷ついてしまったのだと思います。
それでもきっと時間が解決してくれる
私は、30歳のときに卵巣のう腫になって、31歳時に卵巣腫瘍ができて、不妊治療はやめました。
そのあと、自然妊娠するのではないか希望を持っていましたが、さすがに、3年くらい経つと、妊娠するのは無理なのだなと諦めはしていたのです。
諦めてはいたけれど、生理があるので、可能性は0ではないという僅かな希望もありました。
そのため、私が心底本当の意味で子供を諦められたのは更年期を自覚したときでした。
ずいぶんと長いこと子供を諦められずにいたものだと思います。
でも、子供を諦めるということは、心の中の赤ちゃんとの別れを意味するので。
母親の死と同じくらい、もしかしたらそれ以上、私にとっては辛いことだったのかもしれません。
でも、どんなに辛い別れだったとしても、時間が解決してくれるのです。
あんなに絶望的な気持にだったのに、今は普通の状態に戻っています。
だから、もし、どうやったら子供を諦めることができるんだろう。
そんな風に思ってこのブログへ来られた方がいたら。
不妊治療をやめてしばらくすると、自然に子供を諦めることはできると思います。
ただ、不妊治療をやめた後の3年くらいは猛烈に辛い気持になるかもしれません。
私もそうでした。
でも、子供って、諦めようと思って諦められるものではないと思うのです。
それでも、長い時間が必要かもしれませんが、自然とさよならできる時はやってきます。
焦らず、ゆっくり、その時が来るのを待って欲しいと思います。